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  第101号 令和元年(2019年)12月1日発行





巻頭


長きも短きも  小さきも大いなるも
浄(きよ)きも浄からぬも
およそこの世にて  与えられざるを
取ることなき  かかる人を
われ婆羅門(ぱらもん)とよばん


                            (法句経 409)
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◇新:法句経講義59◇

<※「新・法句経講義」は、巻頭ページ掲載の法句経について解説しています。>

世の中、背が高い人もいれば低い人もいます。右利きもいれば左利きもいる。
自分に与えられたものに不満を言っても始まらない。与えられたものを、正直に素直に受け取って生きることが大切ですよ、そうした分かりやすい教えを説いた偈ですが、簡単にはいかない現実もあるものです。
 背の高さや利き手くらいは我慢できても、どうしても我慢できないハンディがあったり、境遇に置かれることもあります。折角買ってきた服が汚れていたり、予約したホテルが期待はずれだったり、がんばった試験が不合格だったり、会社が倒産したり、小から大まで、与えられたものに我慢できないことなんで山ほどあるのが現実です。
 それでも、与えられたものを素直に受け取れというのがこの教えです。与えられてもいないものに固執して不満を言っても、得るものは何もない。失敗は失敗として取り返すしかないし、才能がないならある人以上に努力をするしかないのです。不満、諦めではなく、前向きに努力する出発点。それが、与えられたものを素直に受け取る姿勢なのです。

  叙 景    表紙を語る

 冬枯れの林を歩く。ガサゴソと音をたでながら、枯れ葉を踏み、見通しのよい冬の林を歩く。
 樹の姿の美しさに見とれ、思わぬ所に道を見つけ、ずんずん進むと、知らない場所に出てしまう。ここは何処だろうと、しばらく記憶をたどり、振り向く空のなんと青く、透き通っていたことだろう。
 随分前の正月休み、富士山麓の冬の林で撮った一枚です。

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 主管所感 >

人生を生かしていく仕事               友松 浩志

 天皇陛下の即位に関する様々な行事が終了して、いよいよ本格的に令和の時代が始まりました。令和になって、「昭和世代」はだんだん肩身が狭くなっていきそうです。まして前のオリンピックを「知っている」我が身の居場所は、益々狭くなりそうです。
 前のオリンピックと言えば1964年、日本はまだ高度経済成長の入口で、東京の街も木造住宅が多かったように思います。交通機関として都電(路面電車)が幅をきかせて、どこに行くにも都電を利用したものです。
 そんな都電に秉っていた時、私は今の天皇陛下に会った(見た?)ことがあるのです。通学で秉っていた都電が、今の国立競技場の近くを走っていた時、ボンヤリと窓外を眺めていると、大きな石垣の芝生の上に一人の少年が立っています。隣に数人の大人の人が、守るように立っていて、少年は熱心に車の流れや、都電を眺めているのです。子どもの私にも、それが当時の皇太子殿下の長男であることはすぐに分かりました。
 あれから50年以上の歳月が流れ、都電は廃止され、東京の街も大きく変貌しました。あの少年は天皇となり、再びのオリンピック。時の流れを感じるのは、言うまでもありません。諸行無常、正にすべては移り過ぎていきます。
 といって、「諸行無常」はただ悲しいこと、侘しいことなのでしょうか。もし諸行無常でなかったら、治る病気もいつまでも治らず、子どもはいつまでも子どものまま。つらい仕事も終わらないし、努力してもお金はたまりません。時間が流れ、ものごとが変化することで、私たちは生かされているのです。
 冬の猛吹雪のなか、動物たちは[ストーブを持ってこい]とも「コートが欲しい」とも言わず、雪の穴の中でじっと我慢しています。彼らは彼らなりに、春が来ること、芽生えの季節がくることを知っています。
 時の流れを知りそれを感じながら、それぞれの[人生を生かしていく]、それが私たち一人ひとりに課せられた仕事に違いありません。

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お泊り保育
  -みんなで作った夏の思い出-

 今年も、神田寺幼稚園、真理学園幼稚園ともに、1学期のおしまいに真理学園幼稚園の園舎で、年長児の「お泊まり保育」を実施しました。カレーをつくったり、森を探検したり、おばけ屋敷に挑戦したり、楽しい夏の思い出をつくりました。
    左の写真は、隣接する雑木林の公園で、一人づつ手持ち花火をもって、真剣に炎を見つめているところです。
 親元を離れて友だちと過ごした思い出は少し心細かった分、忘れられない思い出として残っていくことと思います。

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西墓地に仏堂建設

 神田寺には、江東区の2ヵ所に墓地がありますが、旧安民寺があった西墓地の隣接地に新しい建物の建設が始まりました。これまで、西墓地には休憩所がなく、日常管理は近隣の方にお願いしてきましたが、数年前に隣接地の土地を購入することができ、この度ようやくそこに建物をつくることになりました。
 予定している建物は木造2階建で、1階は休憩所兼待合所、2階には小さな礼拝施設をつくる予定です。エレベーターはありませんが、階段やスロープはゆるやかにして、多くの方が利用しやすい施設にしたいと考えています。
 12月には工事を開始し、来年(令和2年)の6月には完成の予定です。檀信徒の皆様には、大変恐縮でございますが、神田寺として念願の施設の建設ですので、若干のご寄付のお願いを申し上げたく、別紙にてご案内申し上げます。
 (西墓地の施設ですが、東墓地の方にもご利用頂ける施設ですので、東墓地の皆様にも、 今回、ご寄付のお願いを致しますこと、ご理解頂ければ幸いでございます。)

仏教豆知識 79

 帰依
 帰依(きえ)とは、「帰」-かえる、もどる、身をよせる-と、「依」(呉音で<エ>と読む)-よりかかる、たよる、やすらか、を重ねた言葉で、安心して身をまかせる状態、総てをささげる姿勢を言います。 インド発祥の言葉というより、中国起源の言葉と言えますが、仏教では、仏(ブツ/ほとけ様)・法(ホウ/ほとけ様の教え)・僧(ソウ/ほとけ様の教えを信じる人たち)の三つ(三宝/サンボウ)に「帰依」すること、総てをゆだねることを、最も大切な信仰姿勢として尊重してきました。
 仏・法・僧の三宝に帰依する言葉、南無帰依仏(なむきえぶつ)、南無帰依法なむきえほう)、南無帰依僧(なむきえそう)を三帰(さんき)と言い、これはどの宗派でも唱えることのできる、大切な言葉として使用されています。


令和2年の年回表法務案内からご確認ください。
諸報告も合わせてご覧ください。こちらから

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