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ひと若(も)し 他(ひと)の過(とが)をさがし求めて
他人の過ちばかり探して、いつも怒っている人は、確かに「さとり」などには
< 主管所感 > 決断のとき 最後の白い山 友松 浩志 寒い冬が過ぎた。基本的に夏より冬が好きな人間だが、今年の冬は寒すぎた。北日本や 北陸の雪も、異常なくらい多すぎた。とはいえ、私は雪が好きだ。雪が積もると、町の音 が消える。雪が音を吸収してしまうからだ。雪は音を通さない。 その冬も、ひとりで雪の山を登っていた。前日、長い長い林道を歩いて、南アルプスの 2000メートル峰に突き上げる尾根の末端に、小さな雪洞を掘った。雪洞というのは、雪の 穴だ。一人用だから、小さな穴を掘って、上にシートをかぶせれば出来上がり。中に座り こんで、壁を少し広げると快適になる。小さな棚をいくつか作り、寝床を広げれば、もう 立派な家みたいになる。 日が陰り、暗くなったのでローソクをつける。雪洞の中はすべて白いので、一本のロー ソクですべてが輝きわたる。まるで白亜の殿堂だ。そして音が聞こえない。外は吹雪でも 中は無音で、ローソクの炎さえゆれない。 その山は、最後と決めた冬山だった。40歳を過ぎ、もうひとりで危険な冬山に行くの は止めにしようと思った。体力の問題もある。でもそれ以上に、仕事のことや家族のこと を考えた。もっともっと登りたい山はある。でも「おしまい」という時がくる。決めるの は「私自身」だ。人には決断というものが必要な時がある。それは誰に言われてするもの でもない。私か「私の生き方」を決める瞬間。そんな瞬間を、何度経てきたことだろう。 そこにいたる時間は長くても、決めるのは一瞬だ。 次の日、朝の4時から懐中電灯をつけて登り始めた尾根は、やたら長かった。6時間余 の奮闘でようやく稜線に近づくと、雪もしまり、快適に頂上に達することが出来た。最後 の白い山、その真っ白な頂きを、今も忘れることが出来ない。 ----------------------------------------------------------------------- ◆ホームページでも発信中◆ 真理通信の読者を少しづつ広げています。 小紙「真理通信」も、まもなく100号となります。実際には、小形版の「真理通信」 もありましたので、120号位発行していると思います。月刊誌「真理」を昭和60年に 終刊して、神田寺・真理学園の広報紙がなくなってしまい、小部数でもいいから機関紙が 必要と考えて始めた「真理通信」でした。 現在小紙は、神田寺の檀信徒、神田寺幼稚園・真理学園幼稚園の関係者、「真理」誌で ご縁のあった方々などに1500部程配布していますが、一般の方の目に触れる機会は、 ほとんどありません。 実は数年前から、神田寺のホームページが作られています。これは、以前神田寺に奉職 して下さった山梨県富士川町の明王寺ご住職・標 隆先師が、まったくのご好意で作って 下さっているものです。ホームページの中には、「真理通信」のページもあります。一部 を省略していますが、バックナンバーも気軽に呼び出せます。本紙が、一般の方々の目に 触れる貴重な機会となっています。 「神田寺」と検索して頂くと、最初に出てきますので、是非ご覧下さい。 -------------------------------------------------------------------------
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