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  第92号 平成28年(2016年)121日発行



巻頭


自ら慚(はじ)をもちて  おのれを制し
ひとのそしりを  意とせざること
良き馬の  鞭(むち)を意とせざるがごとき
かくのごときのひと
この世に多くあらんや


                            (法句経 143 B)


◇新:法句経講義50◇

<※「新・法句経講義」は、巻頭ページ掲載の法句経について解説しています。>

 人は誰でも失敗するものです。恥をかくものです。生きるってことは、恥の上塗りをし続けることみたいに感じることがあります。
 でも、問題はその後です。失敗して、周りからあれこれ言われ、がっかりし、そのうえで、どうするか、が問題です。自暴自棄になるか、それともその失敗を次に生かせるか。「おのれを制し、ひとのそしりを、意とせざること」が出来るかどうか。
 そこには、強い意思が必要です。じっくりと、自分と向き合うことが必要です。
何かいけなかったのか、多くの場合、原因はたいがい自分のなかにあるものです。
そして、それに気づくことは、なかなか大変なことです。
 周囲は、いろいろ勝手なことを言うものです。もちろん、善意で言ってくれているものもあるでしょう。でも、問題は自分自身なのです。意見は意見として聞くけれど、自分が改まらなければ、何も変わりはしない。
 鞭を打たれた馬のように、泰然と前を向いて進んでいく、そんな人になれたら素晴らしいことです。

仏教豆知識 70

 煩悩

 煩悩(ぼんのう)とは、心の汚れを言います。貪(とん:むさぽり)、瞋(じん:いかり)、痴(ち:おろかさ)の三つが根源的な煩悩とされ、三毒(さんどく)と言われます。毎年大晦日の夜、百八の煩悩を除く「除夜の鐘」をたたきますが、百八というのは、たくさんという意味です。
 人は本来清浄で、煩悩はたまたま付着した塵のようなもの、と考える客塵煩悩(きゃくじんぼんのう)という考え方があります。また、煩悩即菩提(ぼんのうそくぼだい)煩悩を持つ身こそ本来の自分であり、そこから悟りがひらかれるという考え方も生まれました。
 「煩悩の氷多ければ悟りの水多し」とは、親鸞上人の有名な教えです。



 主管所感 >

長く見つめていられない       友松 浩志

 年の瀬になると、新聞に、今年亡くなった有名な人の追悼記事がのります。アーあの人も今年亡くなったんだ、と思うと、うら寂しくなります。人は、誰でも去っていくもの。
有名な人だけでなく、言うまでもなく、どんな人でも去っていきます。自分自身もやがて去っていく。
 でも人は、四六時中「死」と向き合ってはいられません。ある人が、「死と太陽は長く見つめていられない」と言っていましたが、ずっと死のことを考えていたら、頭がおかしくなってしまいます。何か、他のことを考えようとする。青少年時代に、死が怖くて不安になったり、泣いた経験がある方もおありでしょう。そうした不安は、日常の生活のなかに徐々にまぎらわせていったはずです。肉親の死のあとの虚脱感も、葬儀の段取りや来客の接待のうちに、落ち着かせていった。そんな経験がある方も多いはずです。
 今年7月に亡くなった永 六輔氏が、ある本で「父が死んだ時は、悲しかった。母が死んだ時は、虚しかった。悲しさには耐えられたが、虚しさは耐えがたかった。」と書いておられました。肉親の死は、大きなショックです。
 来年、母の33回忌がやってきます。 33回忌というのは、大きな節目の回忌と言われて、地方によっては、位牌を菩提寺に返すと聞いたことがあります。人生50年の時代、33回忌以後の法要は、なかなか難しかったのでしょう。そんな32年前のことですが、私にとっても、母の死は、悲しいというよりも虚しいものでした。もう、自分の死が「仮定の死」ではなく、現実にとなりにあるものになったし、何より生きる支えが取れてしまったように思われたものです。
 とはいえ、「母の死」の後、見え隠れする死を感じながら、以前よりも前を見て生きるようになったようにも思います。「長く見つめていられない」が故に、死は時に私たちを励まし勇気づけてくれるのかも知れません。

秋/ともに歩む楽しさ
  -遊行会・柴又から矢切へ

 一年ぶりの遊行会(ゆぎょうえ)を11月14日に行ないました。今回は、東京の東端、葛飾区の柴又、あの寅さんの故郷です。神田寺から小型バスで柴又へ。
 まず、帝釈天を参拝。帝釈天の本堂外壁には、素晴らしい彫刻がほどこされています。
また立派な庭園もあり、ゆっくり鑑賞。寅さんの記念館では、再現された映画のセットに目をうばわれました。昼食は、有名な川甚で川魚料理を堪能。当日は曇空無風で、運よく矢切の渡しに乗船し千葉県へ。対岸で待っていたバスで回向院別院へ。
ここには、江東区深川の震災・戦災で犠牲になった方々の合同墓があり、参拝。
その後、別院内の喫茶室でしばらく歓談し帰路につきました。ゆったりと、静かな秋にふれた一日でした。

△帝釈天の本堂前で記念撮影をしました。
   ◆寄贈された少女像

 今年の5月から、神田寺の応接室に一体の少女像が展示されています。これは、檀家の宮下英次氏が寄贈して下さったもので、元・日展理事長、文化功労者の橋本堅太郎氏の作品です。この作品は、長く宮下家に所蔵されていましたが、昨年、先々代圓諦住職の法要の際、講師の石上善応先生が、戦後の神田寺での橋本先生との出会いなど語られたことから、この作品は神田寺で保管して欲しいと思いたたれたものです。
 現在、日本を代表する彫刻界の重鎮・橋本氏の青年時代の清々しい作品です。是非ご覧下さい。 




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