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  第95号 平成29年(2017年)121日発行





巻頭


たとえ 悪をなしたりとも

ふたたびこれを なすことなかれ

悪のなかに たのしみをもつなかれ

悪つもりなば 堪えがたき

くるしみとならん


                            (法句経 117)



◇新:法句経講義53◇

<※「新・法句経講義」は、巻頭ページ掲載の法句経について解説しています。>

 「悪」というと、「そんなものとは無縁です」といった顔をする人がたくさんいます。
本当にそうでしょうか。
 引退した横綱のように、人を殴った人は少ないかも知れません。万引きなんか
ほとんどの人はしていないはずです。でも、かげで人の悪口を言ったことのない
人はいますか? 噂話にウキウキしたことはありませんか?
 大きな声で子どもを叱ったこと、わがままを言って親をこまらせたこと。思い
返せば、人は人に迷惑をかけ、しなくてもいいことをし、するべきことしないで、
人生を送っていくのです。
 人は弱い存在です。「正しいこと」だけで生きてきたわけではない。悪いこと
もしてきた。そのことに気づいたなら、それを繰り返してはいけない。それを、
「やっていいこと」にしてはいけない。
 自分の弱さ、いたらなさを自覚した人は、前に向かって生きる人です。正しさ
に向かって生きることが出来る人です。悪を悪として自覚すること。それこそが、
正しく生きる入口なのです。


  叙 景    表紙を語る

 雑木林には、春夏秋冬それぞれに楽しみがあり、それぞれの美しさがあります。
新緑もよし、雪の日もよし。でも、枯葉の季節、サクサクと落ち葉を潜んで歩くのも、
何か切なく味わいがあるものです。
 東京の多摩地区に幼稚園をつくって27年。武蔵野の面影を残す、たくさんの
雑木林を見てきました。冬枯れの、よく手の入った雑木林は、日あたりも良く、
木々の美しさが映えます。遠い記憶をたどりながら、ザクザク枯葉を踏み、独り
多摩の雑木林を歩いた、そんな日の一枚です。



 主管所感 >

  今日を生きる                      友松 浩志


 還暦を過ぎた頃から、同窓会とか、同期会の誘いが多く入るようになった。みんな暇に
なったのか、参加者もそこそこいて盛会である。といって名札でも付けていないと、一体
どこの誰やら様変わりはお互い相当のものだ。
 直ぐに打ち解けて、昔あったこと、現在の心境など、和気あいあいと盛り上がる連中も
いるが、黙ってひたすら飲食にはげむ人もいる。人生いろいろな生き方をして、今ここに
いる。昔のように振る舞えるかと言えば、みんなが皆そうも行かない。居心地のいい人も
いれば、そうでない人もいる。
 音楽プロデューサーの松任谷正隆氏が、ある雑誌にこんなエッセーを書いておられた。
「同窓会は、昔から敬遠してきた。何十年も会っていなかった奴に、急に<お前>呼ばわ
りされ、その上、お前は稼ぎのいい奥さんに恵まれていいなあ」なんて言われる筋合いは
まったくない。」(言うまでもなく、奥様はあのユーミンである。)まったく同感だが、
その同窓会の幹事は、おそらく氏の参加を心待ちにしていたはずだ。
 人は、様々な思い出を持って生きている。いい思い出もあれば、二度と思い出したくな
い思い出もある。でも、そうした思い出がその人を作っている。年をとると、昔の思い出
がよみがえる。人によっては、昔の自慢話ばかりするようになる。「俺が部長だった頃」
「私が若かったころ」そんな話しは、家族にとってはどうでもいいことだ。「悲しきかな
我人生」である。同窓会は、そんな昔話の「吐き出しロ」なのかも知れない。
 とはいえ人は、「思い出」だけで生きられるわけではない。思い出なんか振り返らず、
思い出なんか捨てて生きる、それもひとつの生き方。「前を向いて生きる」なんてかっこ
いい。でも、そんな「かっこいい」生き方が出来ない人は、ひたすら「今日を、今日も」
生きなければならない。ひたすら黙って、「今日」を生きる。
 圓諦老師が、晩年好んで色紙に書かれた言葉「今日生きるよろこび」。「今日」を正面
から受けとめ、今日を喜んで生きる。それも、いい生き方である。

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  ◆ 遊行会・ともに歩む日 
 ― 川越/蔵造りの街並みと喜多院 ―

 今年の遊行会(ゆぎょうえ)は11月21日、埼玉県の川越を歩きました。明治初期の町並みを
残す「蔵造りの町並み」、かつての江戸城の一部が移設されている「喜多院」。見どころ
の多い川越の街を、秋の一日ゆっくりと楽しみました。
 神田寺に集合した一行は、小型バスにゆられて川越へ。渋滞もなく、先ず市立美術館に
到着しました。川越出身の洋画家・相原求一郎の作品や、開催中の銅版画家・中林忠良展
を鑑賞。博物館では、川越の歴史を学びました。
その後いよいよ蔵造りの町並みへ。少し自由散策の後、「時の鐘」前の「とりせい」で釜飯を食べ
しばし休憩。特製の「つくね」は絶品でした。
 最後に訪れた「喜多院」は、秋の装いも美しくかつて江戸城にあった建物の豪華さに驚かされました。建物を出ると、秋の夕陽が五百羅漢の様々な表情を、鮮明に浮かび上がらせていました。


■ しばらく休会のお知らせ ■
 平成16年(2004)に再開した遊行会。毎年ではありませんでしたが、檀信徒の皆さまと
都内や近郊を訪れ、秋の一日を楽しんでまいりました。もっと続けたい気持ちもあるので
すが、この辺で一度お休みにして、新たな企画を考えることにしました。毎回参加された
方もおられます。皆さまのご支援、ご協力に対し、厚く厚く御礼申し上げます。
■ これまでの遊行会 ■
・平成16年 上野/谷中周辺
・平成18年 深川/清澄庭園等
・平成19年 品川/法禅寺訪問
・平成20年 皇居周辺
・平成22年 芝/増上寺参拝
・平成24年 青梅/天寧寺等
・平成25年 鎌倉/田谷の洞窟等
・平成26年 小石川/永青文庫訪問
・平成28年 柴又/帝釈天参拝
・平成29年 川越/喜多院参拝

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仏教豆知識 73

 中道

 中道(ちゅうどう)というと、最近は馴染みのない言葉になりました。以前は、左翼でも右翼でもない政治姿勢を、中道路線、中道政治などと言ったものです。極端に片寄らない姿勢が、中道政治の目標だったようです。この「中道」という言葉は、まさに仏教語です。仏教の中心になる重要な言葉です。
 お釈迦様は、はじめ様々な苦行をされました。でも、覚りを得られなかった。そして、菩提樹の下で瞑想され、苦行主義でもなく快楽主義でもない道 「中道」こそ、目指すべき道だと、覚られたと言われます。仏教はその土台の上に築かれた宗教です。
 極端な考えに片寄らず、中の視点でものを考えることに徹底したのが、竜樹(りゅうじゅ)が創設した「中観派」(ちゅうがんは)という学派で、「空」の思想を深めていきました。


平成30年度年回表は 「法務案内」のページを参照ください。




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